木下一国斎でも子の池田一国斎でも金を儲けると云う点よりも、自己が意に適した製作品を出したいと云うのが本旨であるから更に仕事を急がないで、意に任せて筆を執って行くのであるが、今日までのものでは、日清戦争の際陛下に献呈したと云う前の二品より外には、己が許して宜いとはして居ないのである。 過日長沼長沼鷺蔵氏から依頼を受けて、父子両人して拵えたものは父一国斎の料紙箱で四季模様、子一国斎のは文庫で四季の花模様、共に色彩を施したものである。 又目下製作しつつある品は、二尺三寸に三尺位の茶棚で前は観音開きで、両方は郭子儀(かくしぎ)模様入り、両方の横面は桐に草花、戸の裏が牡丹であって、之は今年で三年もかかって塗り上げて居るのであるが、来年までには拵えたいと云って居た。 而して来る四十五年の大博覧会には多分之が出品されるようである。 此次に野津大将の卓子を色彩で、塗り上ぐることになって居るそうであるが、此両品が出来たら、木下一国斎畢生の作品と許して居るようである。 | |
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