一国斎の名誉

明治初年頃に一たび、一国斎の塗物が陛下の目に触れて以来、宮内省から製作の下命あることは一再ならずであって、一国斎父子の語る処に依ると、今日まで三、四十品も陛下に献呈されて居るようである。

其中でも日清戦争の際大本営が当地に置かれて天皇陛下には日々軍務に携わらるるので、其暇に御慰めのためにとて一国斎の品を召された。

其折柄(おりがら)丁度京都で博覧会の催おしがあったので、一国斎は陛下に献呈するものとの二様を作った。

其一は捲煙草入で黒仕上げ即ち黒蒔絵であって、一は菓子器で、獅子に牡丹の彩色を施しとたものであった。

二品とも出来上がったから、宮内官の下検分に供えて、何方なりと好い方を、陛下に献呈したいと云ったら、宮内官は両品とも献品せよとの事であった。

けれども一品は博覧会へ出す考えであったから、是非一つ丈(だけ)と御断り申上げて、捲煙草入は京都へ向かって出品の手続きをした処が、京都まで御還幸の際己に買上げの札を附せられたそうで、今猶陛下の座右に置かれてあるそうである。

尤も此品は四代一国斎も拵えたので同人が携帯して大本営に抵(いた)り、宮内官に差出したので、それを紀念として、別号鯉城一国斎と命名したそうである。

それから博覧会等へ出品したことも数々あるので、賞杯若くは褒状を受けたこともなかなか多い。

今皇太子殿下の慶事の際にも、五師団の下士団からの献納品を嘱託せられて、製作したことがある。

文庫と硯箱とであって、一国斎父子の製作品であって、文庫は蓋が白藤花の垂れに身は菊に牡丹で硯箱は蓬莱の図である。


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