木下氏は師の中村氏と別れて広島に帰ってから、専ぱら斯術に従事して居られたが、其中技術も上進し追々世間に知らるるに連れて、師の恩の浅からざるを追思し、如何にもして中村氏の所在を知りたいと思って、凡そ心当りの箇所を探索しつつある中、伊予の河原町に住んで居ることを聞き及び、木下氏は直様同所に赴きて尋ねたけれども、更に手懸がなかった。
其後豊後の別府にて死んだとも伝えられてるから、木下一国斎は明春までには別府に赴いて、師の終焉地を確かめたいと云って居る。
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