今の一国斎との関係

処が二代一国斎は或年偶とした事から眼病に罹って、百万意を尽くして治療したけれども、何しても大阪では治らない。

スルト或人からして広島の矢倉の下に、野村と云う上手な眼医者があると云うことを聞いて、其療治を受くるために、態々(わざわざ)大阪から来て逗留して居る中に竹の丸(青山様と云う)様に知られて、呼出を蒙って、御用を受けて居たが居宅を江波村に構えて、池田家と相隣りして居った。

それで、今の一国斎兼太郎氏は日々遊びに行って、親の如くに懐いて居た。

処が中村も追々寄る年浪に世を去るのが近付くものであるからして、後生に金城一国斎の妙技を残すべく、相当な弟子を求めつつあったので、中村氏は兼太郎氏が子供ながらも絵画又は土細工をするのを見るのに、俗脱した所があるからして己が弟子にと彼の親に求め且本人にも諭したのである。

乃で兼太郎氏は非常に之を喜ぶのみならず彼の両親もまた喜んで愛児を彼を托したのである。


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